体験談コーナー


勝手に個人の物語(AAの仲間著)

 自分が陥ったドライドランク(2ステップ)の状態、そこから12のステップに戻るまでのこと、確信に変わった「神意識」についての話を書こうと思う。ここ最近、自分と同じようなドライドランクを体験している仲間に会うことが多く、自分の話が今苦しんでいる仲間、これから同じ状態になるかもしれない仲間の役に立てばと思う。

 その前にとりあえずわたしがAAに辿り着くまでの話を書きたい。

私は1988年、東京で生まれた。両親曰く、赤ん坊の時から全然眠れない子で、毎晩寝かしつけることが非常に大変だったらしい。父がよくおんぶして寝かしつけてくれたと聞いている。父は消防士だった。日常的に寝不足も多いはずで、とても大変だった思う。

 2歳下に弟が生まれ、そこそこ仲の良い姉弟だった。だが、私自身は物心ついた時から「人と違って何か変だ」という感覚があったし、あまりにも生きていることが苦しかったので、自分はきっとすぐに死んでしまうのだろうと思っていた。そして不眠症だった。後に通うことになるカウンセリングルームのカウンセラーの話では、小さいころから不眠症、ということは通常あり得ないらしい。よっぽどひどい緊張状態の中で育たない限り、幼いころの不眠症というのはあり得ないと言われた。何が、それほどまでに過酷だったのか。恐らく父がギャンブル依存症(そして恐らくアルコホリック)であることが関係していると思う。父が家にいたことはほとんどない。そもそも消防士は泊りの仕事なので、一度仕事に行けば、一晩は帰ってこない。帰ってきてもすぐにパチンコに行くので、家に父がいた記憶はほとんどない。「お父さんがいない」と泣きじゃくる弟とそれを見て困っている(イライラしている)母と一緒に、父のことをパチンコ屋に迎えに行くのが日常だった。弟が泣かないように、お母さんがイライラしないように、お父さんがちゃんと家に帰ってくるように、パチンコ屋に父を迎えに行くときはいつもそんなことを思っていた。成長するにつれ、わたしの役割は母の父に対する不満や愚痴を聞くことへシフトしていった。毎日父の悪口を聞き続け、「お父さんが悪いんだ」と思っていた。だが、小学校高学年になったとき「こんなにずっとお父さんの悪口を言っているお母さんも変なんじゃないか?わたしはお父さんの気持ちを聞かずに、お父さんを悪者にできない」と思うようになった。だが、父は家にいない。いたとしても会話が成り立たない、コミュニケーションの取れない人だったので、父の気持ちを聞くことはできなかった。父は突然キレる人だったので、それも恐ろしかった。さらに小さいころに思っていた「自分はきっとすぐに死んでしまう」ということも起きず、生き続けていることに絶望した。そして人生は時と共に信じがたいほど辛いものになっていった。

 中学生になったとき父に多額の借金があるということを耳にした。そこからわたしは勉強にのめり込む。一生懸命勉強し、良い大学に入り、良い会社に入り、たくさんお金を稼げば、家族のことを助けられるかもしれない。何よりどうすれば生きていけるのか分からなかったので、自分自身が生きていくための術になると思った。毎日午前3時ごろまで勉強し、友人も作らず、休み時間もひたすら勉強し、失神するように眠っていた。今思えば極度の睡眠不足なのだが、勉強していれば不眠症も治って丁度良いと思っていた。そんなやり方が長く続くはずもなく、中学校3年生のときに限界がきた。勉強が一切手につかず、何もできない状態になった。なんとか志望校に入ったものの、勉強ができる状態にはならず、やがて学校にも行けなくなった。わたし自身記憶がないのだが、「今日学校に向かったらたぶん電車に飛び込んでしまう」とある日の朝、唐突に母に言ったらしい。わたしの中で何が起きていたのか。中学校3年生から勉強が手につかなくなったわたしは、生きていく術として、今度は友達を作って遊ぼう、と思った。だが、やり方が分からなかった。それまでもなんとなく仲の良い友人はいたが、心を開いたことは一度もなかったと思う。高校ではとても仲良くしてくれる友人ができたが、彼女たちが別の友人を作ることが恐ろしかった。わたしよりも面白い人がいたら、魅力的な人がいたら、きっとみんなわたしのところから離れてしまう。次に自分の言う一言で、何もかもをぶち壊しにしてしまうかもしれない。見捨てられるかもしれない。そんなことを思っていたように思う。もちろん、家族の状態もどんどん悪化していた。そのころから死にたいと思うようになった。学校に行けなくなったわたしが次に取り組んだことが、働くことだった。勉強できない、友人関係も築けない、ならば働こう、と思ったわけである。なんとかして生きようとしている過去の自分を思うと、とても切ない。お酒に出会ったのはそのバイト先だった。16歳か17歳だったと思う。時を同じくして、わたしの人生最大で最愛のパートナーのチェルシー(トイプードル)が私のセラピー犬としてやってくる。わたしが今神意識に包まれているのは何といっても彼のおかげなので書いておきたい。

 バイト先の飲み会の話である。自分がどんな人間かも分からず、飲んだこともないのに「わたしお酒強いんです」と言って飲み会に行った。飲み方は最初からおかしかった。一杯飲んだら止まらず、次に目が覚めた時は誰かの膝の上で吐いて、次に目が覚めた時は友人の家で横たわっていた。ほとんど何も覚えていなかった。だが、友人の話を聞いていると薄っすらと誰かが持ってきた高いお酒を一人でラッパ飲みしていたことや、上司に暴言を吐いたことを思い出してきた。そして誰かの膝の上で吐いたことも。バイト先の人には「あなたはもう飲まないほうが良い」と言われ、とても恥ずかしく、恐ろしく、消えてしまいたい気分だった。だが、アルコホリックはそんなことはすぐに忘れる。「まだ若いから、初めて飲んだから、練習が足りないから」そんなふうに思い、飲み続ける。それから21歳でAAに繋がるまで、わたしの身に起きた飲酒の問題は、この最初の飲酒体験とほとんど同じことである。酒乱だったので、起きる出来事は派手だった。お札を破いてばら撒く、携帯電話を壊す、知らない人と喧嘩する、家が少し燃える。

 そのうちにお酒を飲むと何か問題が起きることには気づき始め、祈ってから飲むようになった。「今日は何事も起こりませんように」。お札は破いてしまうから持ち歩かない、携帯電話も壊してしまうから自分でもわからないところに隠そう。そんなふうにしてなんとか飲もうとする。(恐らく)アルコホリックである父の存在もあり、我が家ではお酒を飲んでおかしくなるのは当たり前のことだったし、飲まない、という選択肢を思いついたことは一度もなかった。精神状態もますますおかしくなり、自殺未遂を繰り返していた。ある時、大量の飲酒と精神薬のオーバードーズで、呼吸が止まり、本当に死にそうになった。救急車で運ばれ、命が助かったとき、死にたくない、ということに気が付いた。そこからが本当の地獄だったように思う。ずっと、もう本当にダメになったら死ねば良いと思っていた。唯一の解決方法だと思っていた「死」が解決方法ではなくなった。生きたいと思うことがつらかった。生きることも死ぬこともできない、まさにそんな状態だった。

 母はわたしのことを保健所に相談していたらしく、その中で父のギャンブル依存症の問題と向き合うきっかけを得られていたようで、ギャンブル依存症の家族の会(ギャマノン)に繋がっていた。生きたいことに気が付いたわたしが助けを求めたのが、このギャマノンにいる母のスポンサーだった。それまではずっと母とニコイチの関係だった。いつも母に頼りきりだったし、母がわたしのことを何とかしてくれると思っていた。だが、状況はどうにも良くならず、ふとした時に、母のスポンサーなる人に連絡を取りたいと思ったのである。ギャマノンはわたしにとってはとてもつらい場所だった。まず、当事者意識が強い。当時ははっきりと気が付いていなかったが、みんなが話す「家族の話」がわたしにとっては自分の話そのものだった。そして、お父さんが悪いわけではない、と思った。いたたまれなかった。だが、一人にされるよりはずっと良い。そんな思いでフェローに参加した。そしてそのフェローが居酒屋だった。当時のわたしは飲むと問題が起きることをなんとなく認識しており、この時初めて「お酒を飲まない」ことを選択できた。この人たちを失ったら、本当に一人ぼっちになってしまう、と思ったのである。わたしがお酒を飲まないことに気づいた人が「なんで飲まないの?」と聞いてくれた。そしてわたしはお酒を飲むと起きることをちょっとだけ話してみた。そうしたところ「AAに行ったほうが良い」と言われAAに連れていかれた。もちろん、当事者として行ったわけではない。一人にされたくないからついていっただけだし、少々不服でもあった。AAに行ってみるとおじさんたちの中に若い男性がいて、「お酒はいつからやめているの?」と聞いてきた。何を言っているのだろう?と思った。わたしは別にお酒をやめていないので、そう答えた。そうしたらなぜか、AAのヤングのミーティングを紹介された。一人にされたくないし、この人イケメンだし、行ってみるか、そんな感じでヤングのミーティングに行き、衝撃を受けた。ある女性の話がわたしが感じてきたこととほとんど一緒だったのだ。お酒の話よりもむしろ、生きづらさ、親への思い、そんなものに共感した。そして、彼女にそれを伝えた。それでもまだお酒をやめようとは思えない、お酒なしで生きられるとは思えない、ということも。彼女に言われたことは「だったら飲んでくれば良いよ。飲んでみて本当にもうダメだと思ったらまたAAに来れば良いよ」ということだった。この言葉が決定打だった。もう飲めないことは薄々分かっていた。こんなに自分と同じ思いをしている人がアルコホリックだと言っているのなら、きっとわたしもアルコホリックなのだろう、そんなふうに思った。その瞬間、「あー、もう飲まなくて良いんだ」と思ったことをハッキリと覚えている。何かから解放された気分だった。そこから、その女性にスポンサーになってもらい、毎日ミーティングに通い、12のステップを手渡してもらい、メッセージを運ぶという日々が始まる。わたしの回復は自分でも分かるほどすさまじい勢いで、AAに繋がって3か月で驚くほど元気になった。飲んでいた精神薬が全部必要なくなり、生きていることが素晴らしいものになり、ハイヤーパワーに感謝するようになる。だが、問題はそこからだった。やっと本題である2ステップの話に入る。

 気が付いていなかったが元気になったわたしは、長い間、有頂天だった。自分より年上ばかりのAAの人と仲良くすること、ひどいアル中と関わることをかっこ悪いことのようにさえ思っていた。だからわたしが本当に心を開いていたのはAAの中でもスポンサーだけだったように思う。12番目のステップも自分のためにやっていた。1から12までどのステップも大事で、どれがかけてもダメ、と説明を受けていたので、自分が飲まないために12番目のステップをやっていた。それとは裏腹にミーティングは自分のためには必要ないが、まだ苦しんでいる人のために行っている、と思っている時期もあった。その認識のどちらもが間違っているのだが、まったく気が付かず、長い間そのことにずっと苦しむことになる。AAに来て11年以上が経ったが、わたしは12番目のステップさえ、自分のためにしかできない。そんなことをずっと思っていた。だけどホームのミーティングには行っているし、スッテップを手渡しているし、苦しいときは棚卸をして、スポンサーにも連絡している。何か変だが、何も間違ってはいない。ドライドランクはそんなことを思う。それと同時に、どうやら「人は自分のためだけに生きられるようには作られていない」ことにも気が付き始める。

 そんな中、わたしの最愛のパートナー、チェルシーがどんどん年老いてきて、元気ではあるが、最期の時が近いのではないか、認めたくはないが、そんなことを思い始めた。わたしのどん底から、回復から、成長まで、ずっと側で見守って愛情を注いでくれた、かけがえのない存在。彼がいなくなるなんて、そんな恐ろしいこと、考えたくもない。だがその時が着実に近づいていることを、ずっと側にいるからこそ感じ取ってもいた。そしてわたしは意識的になのか無意識的になのか、彼がいなくなってしまう時の準備を始めるのである。今にして思えば、獣医さんの言葉のひとつひとつがわたしをチェルシーの最期と向き合える状態に導いてくれていた。大変感謝してる。「無事に16歳迎えようね」「無事に夏を乗り越えようね」そんな言葉だ。最初は、なんでこんな元気なのにそんなことを言うんだろう、と思っていたが、それが現実だったのだろう。わたしの中でちょっとずつ変化が起き、チェルシーの最期が近いことに気が付かせてもらえた。チェルシーがいなくなってしまったら、わたしはどうなってしまうのだろう、また一人になってしまうのか、もしかしたら死にたいとさえ思ってしまうかもしれない。そのことを考えると本当に恐ろしかった。そこでわたしがとった行動はパートナーを見つける、ということだった。なんて安易なんだろう。笑うしかない。マッチングアプリを始める。そして、恐ろしいほど具合が悪くなる。裁かれてる感じ、誰にも必要とされていない感じ。メッセージのやり取りに依存し、男性とうまくやれないのは、愛情を注いでくれなかった父のせいだと思い始める。チェルシーがいなくなってしまうことを意識してなのか、友人との付き合いも少しずつ始めていた。だが、状態は良くならない。会社で働いていることも苦痛になり、どこかで一人で生きていきたいと思うようなる。そうしてそんなことを繰り返していたある日、もうこのままだと飲んでしまう、そんなふうに思った。わたしは幸か不幸か、AAに繋がってからお酒を飲みたいと思ったことがほとんどなく、むしろ死にたいと思うことことはあったのだが、チェルシーがいるから死ぬわけにはいかないと奮い立たせてきた。そんなわたしが飲みたいと思うなんて異常事態だ。いつもはほとんどくだらないやり取りしかしないスポンサーに「このままだと飲んでしまうから棚卸をしたい」と連絡した。スポンサーからはすぐに連絡がきて、「もちろんすぐやろう」と言ってくれた。「有休も取れるよ」と。とても感動した。嬉しかった。わたしの持ってるプログラムはこんなに愛情のあるものだっただろうか?自分の都合の良いときに手渡していただけではないだろうか?そんなことを思った。そうして棚卸をして、神様がわたしのところに少しずつ戻ってきてくれた。棚卸の中での一番大きな体験は父のことを手放したことだと思う。厳密にいうと父から愛されたいと思うことを手放した。父とは8年間音信不通だった。ずっとお父さんはわたしのことを愛してくれているけれど、病気が邪魔をしてそれができない状態なのだ、と思っていた。だが、私は期待してしまう。愛しているのならいつか連絡をくれるはず、愛しているのになぜ無視するの?そうしてその思いは恨みに変わっていく。そのことを棚卸ししたときにスポンサーが自分の話としてこんな話をしてくれた。恐らく、愛してくれた時もあったけど、今はそうではない、そう思うとしっくりくるんだよね、と。ショックだった。たぶん、お父さんは今はわたしのことを愛してはいない。ただ、確かにしっくりきた。恐らくそうなのだろうと。そうしたら、今まで自分が自分のタイミングでお父さんに連絡してきたこと、連絡をくれない、会ってくれないことを責めたこと、きっと怖かっただろうなと、自分の側の欠点が見えてきた。「お父さんのことを手放せるように祈ろう」と提案された。これもつらいことだった。親から愛されたいと思うことさえ手放さなければならないのか。親から愛されたいと思うのは当然なのではないのか。わたしは12年前初めて12のステップに取り組んだ時、ステップ6、ステップ7の意味が全く分からなかった。欠点ならいらないものだし、さっさと手放したいと思った。手放したくないと思ったことが今まで一度もなかった。だから、手放したくないと思ったことも初めてだった。ただ、状況を考えると、もう手放すしかないのだろう。そう思い毎日お祈りをした。「お父さんのことを手放せますように。お父さんから愛されたいと思うことを手放せますように」。お祈りには不思議な効果がある。わたしは父のことを手放せた。最後に父に電話をしたが、出てくれなかった。だが、わたしの中ではもうそれで終わりになった。今はもう、父から愛されていても、愛されていなくてもどちらでも大丈夫。愛してくれていたら嬉しいし、そうでなかったとしても父の幸せを祈れる。それは素晴らしいことだった。

 それからわたしは、自分がやってきたプログラムの間違い気づき始め、自分がドライドランクだった状態に気づき、AAのプログラムに戻っていく。2ステップが12ステップに戻ったのだ。AAは本当にすごい場所で、わたしがまたAAを歩きはじめたら、すぐに新しいスポンシーさんが与えられ、手渡すことができた。シラフでの底付きからわずか、二週間後のことである。スポンシーさんにステップを手渡している最中にチェルシーの最期が訪れた。突然だった。ある朝、吐血し、5日後に亡くなった。その5日間で、本当に色々なものが与えられた。彼が倒れた中で与えられた気付きは本当に奇跡のような体験で、そのことを書いておきたい。

 チェルシーが苦しむ中でこう思った。いてくれるだけでいい、それだけでわたしは幸せだった、と。きっとわたしたち人間もみんなそうなのだろう。生きているだけで、誰かの役に立っているのだろう。そして気が付くと自分が苦しくなればなるほど、仲間のために祈っていた。祈らせてもらえる人がいることが幸せだった。スポンシーさんがわたしのホームのミーティングに行くというので、自分は行けないけど歓迎してほしいと仲間に連絡をした。チェルシーが危篤だと伝えたら、同じく愛犬を亡くした経験のある仲間が電話をしてくれた。その気持ちが嬉しくて、号泣した。自分は一人ではないと思えた。仲間の前で号泣したのは初めてだった。チェルシーが倒れてから、4日目の夜、心の中でお祈りをした。ずっと怖くてできなかったお祈りだ。「神様、この子のことはあなたにお任せします」。わたしがチェルシーのことを手放した瞬間だった。そうして翌日チェルシーは天国へと旅立った。

 恐らく、神の訪れは、執着を手放した瞬間に来るのだろう。この経験を境にわたしの人生観、価値観は180度変わった。もしかしたら自分は気が狂ったのかもしれないと思い(どこかで聞いたことがある)カウンセラーに相談した。時々、そのようなことが起きる人がいると教えてくれた。カウンセラーは「超越した」という言葉を使っていた。しばらくして落ち着いてきたときスポンサーに、「突然、ビッグブックと12&12に書かれていることが全部分かるようになった。そうして愛を知った」と話した。スポンサーは「〇〇ちゃんが目覚めた!」と言っていた。そして「わたしには分からないけど、〇〇ちゃんにとっては良い感じなんだよね?それならよかった」と言ってくれた。(これもどこかで聞いたことがある)

 わたしに与えられた気付きを具体的に書きたいと思う。

 まずチェルシーを亡くす前、具合が悪かった時に気づき始めた「人間は自分のためだけに生きられるようには作られていない」ということから、始まる。

 そしてチェルシーが亡くなったあとに少しだけ付き合ったマッチングアプリで知り合った人から気づきが与えられた。彼はとても能力が高く、英語と中国が喋れる。全額奨学金で大学院に行っている。前職は誰もが知っている大手外資系コンサル会社のコンサルタントで、さらには独学でピアノまで弾ける。そんな彼とのある日の会話だ。わたしの会社の取引先の人が「もう80歳で、引退したいのに引退させてもらえない」と文句を言っていたよ、と彼に話したところ彼が言ったのは「でも80歳で必要とされているって幸せじゃない?」という言葉だった。びっくりした。こんなに能力のある人でも誰かに必要とされたいのかと。

 別の気づきもあった。会社のコーポレートマークのリニューアルの仕事に携わっていた時のデザイナーさんの言葉だ。とても一生懸命デザインを考えてくれ、わたしも熱のこもった仕事をしていた。そうしてその仕事がひと段落したときデザイナーさんが言った。「生きるってこういうことなんだと思った」と。感銘を受けたのと同時に、やはり人が生きるということは誰かの役に立つことそのもなのだ、と確信した。これを確信したとき、ハッキリと分かったことがある。ずっと、AAに繋がれたことは幸せだが、アルコホリックになったことは良かったとは思えなかった。アル中になって良かったと言っている人を見るとむしずが走るくらいだった。きっとAA以外に友達もいなくて楽しみがないからそんなふうに思うのだと思っていた。だが、人が生きるということが誰かの役に立つことそのものなら、どうだろうか。わたしはアルコホリックであるから、アルコホリックでしかできないやり方で、誰かの役に立つことができる。役に立つことが生きることそのものということなのであれば、わたしは役に立つことによって生かされているのだ。それに気づいた瞬間にアルコホリックであることがわたしの人生に与えられた最大のギフトであることに気づいた。

 この神意識は短い期間でさらに進化していく。

 次はまたマッチングアプリの彼だ。ある時、彼から「子供がいない夫婦のほうが、子供がいる夫婦より幸福度が高い」という内容の記事が送られてきた。その記事に対しての彼の言葉は「人間は昔みたいに共同体でみんなで子供を育てるほうが合っているのかも」というものだった。その言葉を聞いて、昔、母が教えてくれたファーストペンギンの話を思い出した。ペンギンは群れで生きている。群れの中で一番最初に海に飛び込むペンギンのことをファーストペンギンという。ファーストペンギンの役割は仲間に海の安全、もしくは危険を知らせることだ。もしかしたら海の中には天敵がいるかもしれない。食べられて死んでしまうかもしれない。自分を顧みず他者に貢献することがペンギンの本能に組み込まれている。神様はペンギンを種として残すように作っている。そのことに思い至った時、人間もそんなふうに作られていることを確信した。これはもう科学も証明している。寄付するほうが寄付されるより、幸福を感じる。席を譲るほうが譲られるより幸福を感じる。これに気づいたとき、理解できたお祈りがあった。慰められるより慰めることのほうが、理解されるより理解することのほうが、愛されるより愛することのほうが、ずっと素晴らしいことなのだ。なんと言っても、人間が生きるということは、そんなことそのものなのだと思う。それによって生かされているのだ。

 わたしにいろんな気づきを与えてくれた彼だが、人を愛せない人だった。人と距離をとって、自分が傷つかないように生きていた。物事をロジカルに考え、人間関係も損得勘定で考えてるように見えた。そう、これはまさについ最近までの過去の自分だった。彼に傷つけられることは多かった。そんなとき、わたしはビッグブックに書かれているお祈りを使う。「この人は病んでいるのだ。どうしたらこの人の助けになれるだろうか」。実はわたしは当初、このお祈りが嫌いだった。なんて上から目線のお祈りなのだろうと思っていた。とんでもない勘違いである。このお祈りは愛情そのものなのだ。わたしは、自分がそうであったからこそ、彼がどんな気持ちでそうなってしまっているのかがよく分かる。本人が一番辛いということも。そして思った。わたしが彼の側に居続けることは彼のためにならないと。

 このお祈りが新しい気付きを与えてくれた。そう、目の前にいる人はみんな自分と同じなのだ。過去の自分だし、具合の悪いときの自分だし、具合の良いときの自分なのだ。AAで得られた共同体感覚が一気に全人類に広がった。それは素晴らしい感覚だった。誰のことだってバックグラウンドを聞くと親近感が沸き、好きになったりする。聞かなくても、みんなそれぞれいろんなことがあって今そこにいる。それで十分だった。手を取り合って生きていこうではないか。

 アルコホリズムは自ら役に立たなくなろうとする病気だ。自分が自分が、と極端に自我が暴走する。でも人間は自分のために生きられるようには作られていない。他者に貢献することで、結果的に幸せを感じるように出来ている。

 わたしは毎日お祈りをする。「神様、あなたが望むのなら、チェルシーがどうか安らかでありますように。まだ苦しんでいる仲間の手助けが出来ますように。みんなが幸せでありますように」。恨みを感じているときは恨みを手放せるように祈る。なぜなら、その状態では人の役に立つことが出来ないからだ。

 2ステップから12ステップに戻った時に痛感したのは、お祈りがいかに重要かということだ。誰かの幸せを祈れることは素晴らしい。愛せることは素晴らしい。わたしは今、この上なく幸せだ。ありがとう、チェルシー。君は最期までわたしのために側にいてくれたね。君がいてくれたから、わたしはここに辿り着いたよ。

 AAと仲間とハイヤーパワーに心から感謝している。

 まだ苦しんでいる仲間がいるのなら、どうかAAのメッセージを受け取ってほしい。

 どうかみんなが幸せでありますように。

2022/1/13寄稿